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「砂川事件」最高裁元長官のアメリカ側に対する情報漏えい問題について、
最高裁、日本政府による徹底調査、真相究明を求める議長声明
1 米政府解禁文書の存在

報道によれば、駐留米軍の憲法9条適合性が争点となった砂川事件について、当時の最高裁田中耕太郎長官がアメリカ側と接触し判決の見通しなどの審理情報をアメリカ側に提供していた事実が法学研究者による情報開示請求により明らかになった。
開示された資料は、マッカーサー駐日大使から米国務長官に送られた秘密書簡であり、1959年7月31日にレンハート駐日主席公使が起草したものである。
同書簡には、当時の最高裁長官であった田中耕太郎が、レンハート駐日主席行使に対して、自らが最高裁大法廷の裁判長を務めている砂川事件上告審の審理の見通し、判決日の予定、判決内容について、共通の友人宅での会話の中で語ったとの報告が記載されている。

2 司法の独立を揺るがす重大な問題である

 砂川事件は、1957年7月8日、東京都砂川町の米軍基地の拡張反対のデモ隊の一部が基地の中に侵入したとして7名が刑事特別法違反で逮捕、起訴された事件である。
 1959年3月30日、東京地裁は、日米安保条約にもとづいて米軍の駐留を許容している政府の行為は憲法9条違反であると判示する画期的な無罪判決を言い渡した(いわゆる「伊達判決」、東京地判1959年3月30日判例タイムズ89号79頁)。
 無罪判決に対して、検察官は、跳躍上告をし審理は最高裁判所で行われることになった。
 しかし、最高裁大法廷は、1959年12月16日、一審判決後、わずか8ヵ月という拙速な審理期間で日米安保条約の違憲・合憲の判断は司法審査に原則としてなじまないとする「統治行為論」をもって原判決を破棄した。
 日本国憲法制定から間もない時期である砂川事件当時、日米安全保障条約、在日米軍が憲法9条、平和主義に反するのではないかという点は国民的議論になっており、多くの国民は、政治部門から独立して職権を行使する憲法の番人たる最高裁の判断に期待をしていた。
 今回、開示された資料によれば、司法権の最高機関である最高裁長官自らが、アメリカ側と接触を図り、担当する事件の審理の見通しだけでなく、判決の方向性についても情報を漏らしていたことが明らかになった。
 このことから、当時の最高裁は、日米安保条約改定交渉を行っていた日本政府、アメリカ合衆国政府の政治部門の政治的意向に従った審理、判断を行っていた可能性が極めて高く、最高裁長官自らが司法の独立を放棄する行動をとっていたことに驚きを禁じ得ない。
かかる事態は、司法の独立を揺るがす重大な事態であるにとどまらず、国家としての対外的独立性に疑念を生じさせるものと言わざるを得ない。

3 最高裁による真相究明、徹底調査を求める

 青年法律家協会は、1954年、憲法を擁護し平和と民主主義および基本的人権を守ること- 2 -を目的に、若手の法律研究者や弁護士、裁判官などによって設立された団体であり、日米安保条約、在日米軍の問題についても法律家の立場から重大な関心をもち、砂川事件にも多くの会員が弁護団に参加し重要な役割を果たしてきた。
 青年法律家協会弁護士学者合同部会は、最高裁判所及び日本政府に対して、砂川事件上告事件審理、判決に至る過程における上記問題点について徹底的に調査を行った上、真相を究明するよう強く求める。
2013年 5月16日
青年法律家協会弁護士学者合同部会
議 長   原  和 良
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