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日野町事件再審開始確定を受けて、検察官に対し冤罪救済を妨げる
再審公判での有罪主張を行わないことを求めるとともに、
義務的証拠開示命令制度及び再審開始に対する
検察官の不服申立の禁止を含む再審法改正を求める決議
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2026年2月24日、最高裁判所(第二小法廷)は、いわゆる日野町事件の第二次再審請求について、検察官の特別抗告を棄却する決定(以下「本決定」という)をした。これにより、大津地方裁判所の2018年7月11日付再審開始決定(大阪高等裁判所2023年2月27日即時抗告棄却決定)が確定した。
日野町事件は、1984年12月末に滋賀県蒲生郡日野町で発生した強盗殺人とされる事件であるが、殺害行為や被害品とされる金庫がいつ・どこで強取されたのか等事件の核心ともいうべき事実関係が全く明らかにならないまま、事件から3年以上経過した1988年3月、被害者酒店の常連客であった阪原弘氏を捜査機関が逮捕し、「自白」させた事件である。まさに捜査機関の典型的な見込み捜査と自白獲得に依拠した事件であった。阪原氏は、捜査段階では、当初は弁護人もいない苛烈な取調により自白に追い込まれたが、起訴後は一貫して無罪を訴えていた。しかし、第一審判決(大津地裁)は、「自白」にはその内容にしたがった事実認定が出来るほど信用性が高くないとしながら、自白以外の間接事実のみにより有罪とし、無期懲役を言い渡した。これに対し、控訴審判決(大阪高裁)は、間接事実のみによっては犯人であるとの認定は出来ないが、他方「自白」の基本的根幹部分は信用できるとして、理論構成は大きく異なるものの結論は支持できると有罪を維持する判決を行った。上告審判決(最高裁)は、阪原氏の主張に耳を傾けることなく、2000年9月27日上告棄却し、無期懲役判決が確定した。
2001年、阪原氏は再審請求(第一次再審)を行ったが、即時抗告審が大阪高裁に係属している2011年3月18日病気により他界したため、事件は終結された。これを受け、2012年3月遺族が第二次再審請求を申立てていたのが本件である。
第二次再審請求審において、阪原氏が任意に被害金庫発見場所や死体遺棄現場を案内したとされる実況見分調書添付の写真についてのネガフィルム等が開示された。弁護団がその証拠を精査したところ、金庫発見場所の見分では、行き道ではなく帰り道で撮影した写真について、あたかも行き道での出来事かのような演技をさせたような写真数点が添付されていることが判明した。また、遺体発見現場の見分では、遺体の模型を使用した再現の前に模型を持たずにあたかも予行演習を行っているような写真が撮られていることが判明した。これらの新たな証拠開示により得られた証拠が重大な影響を持ち、再審開始決定に結びついたものと評価できる。
しかし、改めて考えれば、これらの証拠が第一次請求において開示されていたのであれば、阪原氏は、その存命中に再審開始決定、更には無罪判決が得られていた可能性もあるのである。
また、第二次再審においても、検察官が開始決定に対し即時抗告をしたのみならず、その棄却決定に対しても特別抗告を行った結果、大津地裁での再審開始決定から実に7年7ヶ月も経過して、ようやく開始決定が確定した。検察官の抗告には正当な理由がなかったことが本決定により明らかになったのであるが、根拠薄弱な有罪判決に固執した検察官の態度は、えん罪の救済に背を向けた、公益の代表の意味を履き違えたものであった。その間、阪原氏の無罪を信じる妻は88歳を迎えるに至り、検察官の異議申立により、大津地裁の開始決定からでさえもなお苦しみから解放されない日々を過ごさざるを得なかったのである。
このような事態を招いたのは、遅々として進まない証拠開示や再審開始決定に対して検察官の抗告を認めているようにも解釈しうる現行の再審法に不備があるからに他ならない。ところが、2026年2月に法制審議会が答申した再審法改正に関する要綱(骨子)には、幅広く証拠開示を義務づける規定も存在せず、再審開始決定に対する検察官の不服申立も維持したままである。これでは、日野町事件をはじめとするえん罪被害者の救済には全く役に立たないのであり、答申の内容での改正がなされれば後世に対し重大な禍根を残すことになる。
よって、青年法律家協会弁護士学者合同部会は、検察官に対し、再審公判においてえん罪救済を妨げるような有罪主張を繰り返さないことを求めるとともに、政府や国会に対しては、義務的証拠開示命令制度の創設及び再審開始決定に対する検察官の不服申立の禁止を含む、真にえん罪被害者の救済に資する再審法の改正を行うように求めるものである。 |
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| 2026年3月14日 |
青年法律家協会弁護士学者合同部会
第 4 回 常 任 委 員 会
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